モノが手放せない方が絶対にいうワードは「使えるから勿体ない」。でも、私からすると使えるのにおいておく方がもっと勿体ないと思うのです。「使える」ではなく「使う」かで持ち物を決めるだけでかなり生活がしやすくなります。
「使える」のに置いておくのがなぜ勿体ないのか?
「使える」んだから、価値はあると思っていませんか?
モノは使うためにあるんです。使わなかったらなんの価値もありません。モノを手放すことに抵抗を持つわりに、使ってないことに対しては何も思ってない方が多いですが、使ってないことこそ実は一番の悪です。
保管するスペースも勿体ない
管理する手間も勿体ない
モノ自体が役割を果たせない
手に入れたからには使う、使うができなかったらゴメンナサイして手放すことで勿体ないを減らすことができます。
「手放す」=捨てるではありません
モノを手放すことに抵抗を持つのであれば、まずは買うとき・もらうときに本当に「使う」のかを意識して手に入れることが大事。その上でどうしても失敗したものはすぐに見切りをつけて手放します。
衛生的なものや食品は次の人へつなぐことは難しいかもしれません。でも、「使える」ものであれば売る・差し上げる・寄付することでモノは本来の役割を果たすことができます。
モノも置いていれば劣化しますし、いずれは使えなくなります。自分の手に渡ったせいでモノとしての役割を果たせないままというのはとても可哀そうです。使える状態で使ってもらえる人の手に渡すことはモノにとって大事なこと。
使われないまま眠りそのまま捨てられてしまう前に手放す勇気を持ちたいものです。
使ってたけど、使わなくなったモノも含め、メルカリを利用して手放すことが多いです。
「使うかも」はほぼ使いません
人間にはキャパシティがあります。モノがたくさんあっても1つ1つ使いこなせる人、そうではない人さまざま。「使うかも」の多くが使われないのは自分のキャパシティでは使う余裕がない、でも使いたいというただの願望です。
そして、空間にもキャパシティがあるのです。狭い空間にたくさん置いておくことはできませんし、快適に使いやすくするには厳選しておかなければ使いにくくて使わないモノがむしろたくさん発生します。
その「モノ」を使うならすぐに使っています。今使っていないってことは結局のところこの先も使わないのです。今まで1度も使っておらず数年経過したものは今後も使いません。どうしても気になるのであればまず「今、使ってみる」のです。使ってみて今後も「使う」のであれば使いやすい場所に移動してください。
使いやすい場所に置けないのであれば、結局そのモノは使いません。モノをぜひ、生かしてあげてください。
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