世間で発達障害というワードが大きく認識されはじめたのは大体10年ぐらい前からではないでしょうか。そのころからちょこちょこ雑誌やテレビでも発達障害特有の行動や考え方がとりあげられていましたが、読めば読むほど、知れば知るほど私だったんですよね。(夫もそうですが)
なので、もしかしたらそうなのかもな~という自覚はもったままこの十数年すごしてきました。
変わり者という自覚はしていた
気づいたころは30代前半ぐらいでしたが、そもそも自分が変わりものだということは随分前から認識していました。いわゆる井戸端会議的なものも好きではありませんし、追っかけなどの面白みも全く理解できませんし、集団でわいわい集まって何かするよりは一人で何かしていた方が楽しい人間でした。
小さいころから勉強に困ったことはなく、むしろ学歴としては順風満帆に過ごしてきたので性格的な問題が出始めたのは社会人になってから。仕事はこなせるけれど、コミュニケーションがうまくとれず特に女性の多い職場ではかなり嫌われて毎回いじめにあうのです。
嫌われる分には一向にかまわないんですが、そうなると女子の職場って仕事が回らなくなってしまうんですよね。大体1つの職場で3年続けば御の字でした。
病気になるまでは試行錯誤でなんとかやれていた
いじめられていい気はしないので、20代で鬱になりました。いまから考えれば、発達障害の二次弊害だったのでこの時適切に介入があればよかったのかも。まだこの当時は発達障害という概念ってあまりなかったんです。それで無駄に苦しんだ感はあります。
数年、鬱の治療をして社会復帰することができましたが、鬱ではなく実は双極性障害だったんですよね(そのうちまとめますが、実はの話です)。あと、もともと月経でかなりバランスを崩すタイプだったので、このころからPMS(PMDDといってもいいと思うけど)と双極性障害の治療をしていれば、もっと穏やかな人生が送れたかもしれません。
鬱と双極性障害の治療って実は全然違う!
知ったところでショックではなかった
30代になって、発達障害というワードがでてきてまず感じたのは、
仕方ないんだ~
っていう安心感でした。普通の人が当たり前のようにできる、忘れ物をしない、火の消し忘れ、気を使えないなどなどはどう努力しても埋め切れるものはないんだということに気づいてホッとしました。
自分を社会に適応させるために、実は相応のパワーを割いています。普通の人だったら何の気なしにできることに全部パワーを割いてやってるんだもん。発達さんはそれだけで結構ライフを消耗してるんですよ。しんどいが口癖なの、許して!
夫も当時から、俺もそうだよねと気づいていましたが、あっけらかんと状態を楽しんでいました。夫のADHDは多弁・多動・行動力ありのタイプなので、ネガな精神状態に振りやすい私は随分精神的に助けてもらっています。生活面でも二人で力を合わせながら生活しています。私がASD優勢(ADHDもある)で管理が得意・家事はなんとか切り盛りできるのが救いってところでしょうか。
若いころからもっと情報があればよかったのにな~と個人的には思っています。
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